こんにちは。
今日はグアテマラについて。
先日、グアテマラから来日していたマヤ系先住民女性のアリシアさんの講演会を
2人で聞きに行ったのでそれについて書こうと思います。
普段お伝えしている 陽気で明るく、のんびり、楽しいグアテマラの人たちの別の一面。
内容が重く、私たちも正しく理解出来ているとは言えないのでうまく書けるかわかりませんが
グアテマラでそんな事実があったんだということを知って貰えたらと思います。
講演会のタイトルは 『沈黙を破って』
副題 ~グアテマラ戦時下性暴力スピーキングツアー2012~
内容はグアテマラで1960年から1996年まで続いていた内戦時の性暴力について。
生き残った被害者たちの心のケアを進める中で語られ始めた真実と
その活動の軌跡、現状をアリシアさんが語ってくれました。
グアテマラで内戦が始まる原因となったのは1954年。
当時の大統領が進めていた農地改革がグアテマラに広大な土地を持っていた
アメリカの大企業の利害と一致しなかったことに始まります。
そこでアメリカがグアテマラの政治に介入。
当時の政府を共産主義の手先だとして反対派を支持、支援することによってクーデターが起き軍事政権が発足します。
これに対して、軍事政権に対抗する改革派が中心となった反政府ゲリラが組織され、
グアテマラは 軍事政権 VS 反政府ゲリラ という内戦状態へと突入します。
一方、同時期、この反政府ゲリラとは別に
農村部で土地改革や生活改善を求めて先住民たちを中心とした民衆組織が立ち上げられていました。
そして、悲劇はこの何の罪もない一般の人たちの上に起こります。
政府はこの反政府ゲリラとは関係のない農民たちの組織までもゲリラとみなし、
1970年代末から1980年代にかけて全く罪のない人たち、
特に先住民たちを標的に聞くに堪えない残虐な行為を繰り返します。
その犠牲者は20万人を超え、訳もなく村全体がゲリラ集団だと決めつけられ消されてしまった人たちもいます。
内戦や先住民への弾圧に関する詳しい内容は、
今回の講演会で通訳をされいていた新川志保子さんも翻訳者の一人となっている、
『グアテマラ虐殺の記憶:真実と和解を求めて』 や
1992年にノーベル平和賞を受賞したグアテマラ人、リゴベルタ・メンチュウの証言による
『私の名前はリゴベルタ・メンチュウ』
を読んでみて下さい。
東京、北海道、京都、広島と各地を講演されて最後の地だった福岡。
重い内容とハードなスケジュール、言葉が全く通じないストレスなどなどでとーっても疲れていたアリシアさん。
でも、こんな機会は二度とないと思うからと、気力で講演をされていました。
私たちは、講演会後の夕食会に飛び入りで参加させて貰ったのですが、
アリシアさんは講演会での雰囲気とは打って変わって
写真を撮ったり、耳に入る日本語を真似してみんなを笑わせてみたり
とーってもチャーミングな一面を見せてくれました。
辛い現実の中でも、ずっとその辛さを中心に生きるのではなく
目の前の楽しみに素直に、出来るだけ明るく生きる。
そんなグアテマラの人の強さともいえる明るさに私たちがグアテマラに惹かれる理由を見たような気がしました。